【気にするはど、症状は続く】

自覚症状に早く気がつき、早く治療を受ける。体の病気も心の病気も、早期発見・早期治療が重要なのは周知の通りである。しかしながら、症状を気にするあまり、いつまでも症状を自覚し続けてしまう不具合が起こることもある。

こんな例がある。学生時代に体育会系の部活動に熱を入れ、体力には自信があった。だが、ある年の定期健診で不整脈を指摘された。それ以来、通勤途中で階段を上った時の胸の違和感が気になるようになった。夜は布団の中で、心臓の鼓動が調律を乱しているのでは、と気になってなかなか寝つけなくなってしまう。内科で精密検査を受け、異常所見は指摘されなかったが、胸の違和感は相変わらず続いて気が気でない。

このように、過度に注意を集中することによって、その感覚が研ぎ澄まされていき、感知するセンサーがどんどん鋭敏になっていく。

“とらわれ”は注意の仕方次第
上の図をご覧いただきたい。黒い部分が向こうに向かって尖がっているのか、こちらに向かって尖がっているのか、注意の仕方を変えることで、感じ方が変わってくる。寝苦しい夜の置き時計の秒針の音は、いつもより大きく感じるのと同じことだ。

このような現象を、「精神交互作用」と呼んでいる。この作用により、自分が重病ではないかと思い込み、日常生活の支障が大きくなると、「心気症」と呼ばれる疾患となる。

考えてみれば、訓練によって発達し続ける人間の能力は底知れない。それは時に、職人技というような域にまで達する。この能力が気になる症状に向き、毎日毎日繰り返し感知し続けるとどうなるか−想像に難しいことではない。些細な体の変化をいち早く感知 し、症状として捉え、とらわれ続けてしまう。

先に述べたように、自覚症状を感じた場合には、本当に身体疾患が潜んでいる可能性もあるため、早期にしかるべき専門医にかかり、身体疾患の有無を判断してもらうことは重要である。身体の機能的な問題が除外されれば、症状に対する考え方を変えていく必要がある。皮肉なことに、健康を願うばかりに症状を気にし続ければ、センサーが日々鋭くなり、自覚症状を増強し、感じ続けてしまうからである。

とらわれによる症状からの脱却のポイントは、「症状の有無で、心身の調子の良し要しを判断しない」ことである。言い換えれば、「症状があっても、本来の機能は保たれ、その結果、やるべきこと(本来の目的)を行えたことに注目する」ことである。

例えば、「階段は問題なく上れたが、やはり心臓の鼓動が気になった」ではなく、「心臓の鼓動が気になったが、階段は問題なく上れた」というように考えればいい。

ちょっとした違いのようだが、前に向かおうとする心のエネルギー量の違いは大きい。

(出典:日経ビジネス、2011/11/14号、高野 知樹=神田乗クリニック院長)

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