【足裏に刻む仏】

時代は異なるが、円空と同様に諸国を遊行しながら庶民のために仏像を彫つた僧に木喰(もくじき)がいる。2人の仏像は対照的だ。円空仏は荒々しい、大胆な彫りの中に厳かな美しさがある。木喰仏は美的とは言い難いが、ふっくらとした、丸い笑顔に見る者は癒やされる。木喰の歌に「みな人のこころをまるくまん丸に どこもかしこもまるくまん丸」とあるように、どこまでも優しく、慈悲深く微笑んでいるのだ。

木喰は1718(享保3)年、山梨・丸畑に生まれた。14歳で郷里を出奔、江戸を目指す。22歳で出家し、45歳の時に五穀十穀断ちの修行をし、56歳で廻国修行の旅に出る。初期の仏像は蝦夷地で、61歳で制作したもの。全国を遊行する僧に過ぎなかった木喰が、この地で円空仏に出会い、仏像彫刻に目覚めたと考えられる。

「四十の手習い」という諺からすると、既に木喰は年を取りすぎていた。しかも、才能も欠如していた。初期の作品には木喰仏特有の微笑みが見られない。木喰はおびただしい作品を各地に残したが、木喰仏が魅力的な微笑を含むようになったのは1800(寛政12)年になってから。何と木喰は83歳になっていた。最高傑作とされるのは、89歳から90歳にかけての作品である。木喰が独自の彫像様式を完成させ、天衣無縫の円熟を示すまでの道程を調べた民俗学者の五来垂は思わず書いている。「人は長生きすべきものである」と。

足裏の刺激で元気に
それにしても、木喰の長寿と創造のエネルギーはどこから引き出されたものか。筆者はそのパワーの源は、彼の足、それも足の裏にあったのではないか、と推察している。

歩くことの効用は数々あるが、足裏が刺激されることもつけ加えておきたい。古来から足の裏にはツボがあるだけでなく、全身の臓器が投影された、いわば「鏡」のような場所とされてきた。足の裏を満遍なく刺激することは、全身の臓器を元気にすることでもあるという。廻国修行では人里離れた、険しい道を草鞋履きで歩く。嫌でも足の裏が鍛えられたに違いない。

以前、お会いした、政治家の野中広務さんは「私が激務をこなしながら、元気でいられたのは毎日足裏を鍛えてきたおかげです」と言われた。野中さんは35年以上もヒマさえあると、足裏を器具で叩いてきたそうだ。信じがたいかもしれないが、足裏が強くなって特製の金属で叩かないと満足できないとおっしゃっていた。

足裏を刺激するには、革靴で歩くより、底の軟らかいスニーカーが向いている。あるいは、野中さんのように足裏を直接叩くのもいい。足裏を叩く専用の木槌が売られていて、愛好者も多い。木槌で叩くのは短時間でも効果があり、とても心地いい。筆者の場合は疲れが取れて、夜もよく眠れると実感している。

木喰は91歳まで仏像を彫っていたことが分かっている。亡くなったのは93歳。晩年も旅を続け、「木喰明満仙人」と名を変えた。

[出典:日経ビジネス、2010/10/04号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]
[イラスト:ヨコイまこ]

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