【貧乏とコーヒーと】

1868年、時代は慶応から明治へと変わり、新しい日本が誕生したが、江戸の時代精神が滅んだわけではなかった。その直前の1862(文久2)年に生まれた、最後の「江戸人」の1人、牧野富太郎は明治、大正、昭和を生き抜いている。植物を何よりも愛し、「日本の植物学の父」と呼ばれる富太郎が、生涯で採取した植物標本は40万枚、1500以上の植物に名前をつけた。その富太郎の功績を築く原動力となったのが、江戸人の持つ底抜けの楽天主義 だった。

とにかく富太郎は貧乏だった。植物学に情熱を注げば注ぐほど、貧乏になってしまうのだ。小学校しか出ていない、独学の富太郎にとっては本が最大の師である。本屋に入ると店員が持ちきれないほど、たくさんの本を買った。その量は膨大で、時には荷車で運ばせなければならなかった。理科大学の助手として、月15円の俸給があったが、本の代金はその何倍にもなった。

たくさんの本と標本を収納するには、大きな家が必要だ。富太郎は13人もの子供を作ったので、そのためにも大きな家を借りたが、家賃だけで月俸を上回っていた。窮乏を心配した友人が訪ねていくと、富太郎が大邸宅に住んでいてびっくりするのだった。

借金はたまる一方で、約3万円にもなった。大正初期、これは天文学的な数字だった。子供たちが父の給料を職場に取りにいくと、もうそこには借金取りが待っている。家財道具の一切が競売に付され、食事をするにも食卓がないこともあった。

コーヒーがもたらす健康効果
それでも富太郎はいつも楽しくしていた。大好きな花や草を追いかけて生活していたからだ。自分は「植物の精」と思っていた富太郎には、貧乏も借金も何でもなかった。いくら借金があっても、高価なコーヒーを飲む余裕すらあった。しかも健康そのもの。74歳の時に老眼もなく、血圧も若者のように低く、動脈硬化の心配は一切なかった。医者があと30年は生きると保証した。

植物採集で崖から落ち、重傷を負ったが、回復すると前より熱心に研究生活を送った。70代でますます活発な著作活動を展開。『植物学名辞典』『学生版原色植物図鑑』などの力作は91歳以降のものである。

94歳で亡くなった富太郎の長寿の秘密は、江戸人の本能とも言うべき楽天主義にあったのは間違いない。彼の大好きなコーヒーもその要因の1つに数えてもいいだろう。

2006年の米国の研究によると、コーヒーを飲まない人が糖尿病になるリスクを1とすると、1日1杯飲む人は0.87、2〜3杯飲む人は0.58だという。コーヒーを習慣的に飲むと、糖尿病になるリスクが半分近くまで下がるというのだ。このほか、コーヒーは動脈硬化や ガン、肝臓病の予防にも役立つという報告もある。

富太郎は学生たちが訪ねてくると、自分で豆を挽いてコーヒーを飲ませた。彼のコーヒーは「牧野コーヒー」と呼ばれて有名になった。

[出典:日経ビジネス、2010/07/05号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]
[イラスト:ヨコイまこ]

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