【京一番の笑顔の値段】

8代将軍徳川吉宗が幕府の財政改革に乗り出していた時(1716〜36年)のことである。京都は東山の麓に、ささやかな茶店が出現した。

煎茶のまろやかな味は天下一品。茶具は名だたる物ばかり。客が「定めし茶代は高額に違いない」と心配すると、店主はニコニコとして、店先の張り紙を示す。そこにはこう書いてあった。

「茶銭は黄金百鎰(いつ)より半文銭まではくれ次第、ただ飲みも勝手、ただよりは負けもうさず」。

                   茶店の名前は「通仙亭」。店主は「売茶翁(ばいさおう)」と呼ばれ、いつの間にか京の人気者となっていた。売茶翁の茶を一度飲んだらまた飲みたくなる。人気の秘密は茶のおいしさだけではなく、売茶翁その人の笑顔だったという。見事な破顔を見ていると、何とも楽しくなってくるのだ。

売茶翁は肥前(佐賀県)蓮池で生まれた。11歳で龍津寺の化霖(けりん)禅師の弟子となり、月海と号した。そのまま勤めを果たしていれば、いずれは寺を任され、将来の地位も約束されていたが、22歳の時に病魔に侵され、それをきっかけとして、修行の旅に出た。

九州、江戸、東北と苦行の旅を続けながら、道を究めたという。その後、蓮池に戻り、化霖禅師に仕えたが、14年後に師が遷化すると、龍津寺をはかの弟子に任せて上洛した。それから売茶翁として、人の注目を集めた時には、既に61歳になっていた。

袈裟を着ていれば、人々に布施をわずらわせて生きていける。しかし、それは仏の道とは関係のないこと。そう決意し、僧としての身分を捨てて、売茶の道に入ったという。売茶翁の見事な笑顔も、すべてを捨て去った後の、自然体から生まれたものであろう。

心身の健康に働きかける
雨が続くと米代にも困る生活だったが、それでも売茶翁は微笑んでいた。そんな売茶翁の名は広く世間に知れ渡り、その一椀をすすらぬ者は風流を談ずる資格がないとまで言われた。

ある時、高名な書家が通仙亭を訪れた。「売茶翁はおいでか」「おお、ようござった。一服立てて進ぜようか」「いやいやわしには茶は禁物じゃ、酒を持って参った」「では爛をつけて進ぜよう。このほうは酒に醒めてしまうので、茶に酔うとしましょう」「ハハハハ、いつもながら面白いことを言わっしゃる」。

人々を魅了してやまない売茶翁の笑顔が、また新しい笑顔を作るのだった。

笑顔に人は惹きつけられる。それは笑顔が疲れた心を癒やしたり、病を治す大きな原動力となることを感じているからだ。実際、笑顔が心を元気にするだけでなく、免疫力を高めたり、血圧を安定させたり、血糖値を下げる働きがあることが、医学的にも確かめられるような時代になってきた。

また、笑顔は感染する。ドイツの研究家がビデオカメラとMRI(磁気共鳴画像装置)を使ってこのことを証明した。笑顔を作れば、笑顔が広がり、人々の幸せも広がっていく。実は売茶翁の笑顔こそ、最も高価なものだったのである。

[出典:、日経ビジネス、20010/04/12号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]
[イラスト:ヨコイまこ]

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