【機械化に背を向けて】

彼が工場長として赴任した町は、古い港町でもあった。同期入社の前任者Kが急逝し、その後を引き継いだのが51歳になる彼だった。任期の1年は彼の方から申し出た。「2年目はどこかへ移る予定でもあるのか」と問われたが答えなかった。先のことなど分からないが、そうも言えなかったからだ。ただ会社を辞めることで、会社員としての生活に終止符を打とうと決めた。

なぜ終止符を打つのか。7歳年下の後輩から単刀直入に尋ねられた。歓迎会の後、2次会の酒場の席だった。「会社勤めに飽きたのですか?」。飽きたわけではなかった。「時代が変わったのかな」とだけ彼はつぶやいた。

51歳という年は、昔なら定年まであと4年というところだ。入社当時、定年で職場を去ってゆく先輩を何人か見送った。ひと仕事終えてほっとしている顔、和やかで深みのある顔がたくさんあった。やつれて元気がない顔は1つもなかったように思う。そういえば、と彼は思い出す。志半ばで倒れたKは無念だったろうが、お別れの会で目にした生前のKの写真も和やかで、ひと仕事終えた顔をしていた。

「時代はどう変わったのです?」と後輩は聞いてきた。どうと問われても、簡単に説明できるものではないが、「人間がどんどん機械化している」と彼は告げた。後輩は無言でうなずいた。

チヤツプリンが描いた警鐘
不良品や事故が発生すると、マニュアルを確認する。確認すれば落ち度が見つかる。決められたことが決められた通りに行われていなかったことに気づく。しかし、決められたことを決められたままに行うのは機械だろう。マニュアルがあるのに、なぜ守ることができなかったのか。守れなかった心理の方こそ、大事にしたいと彼は思う。

現場で事情を聞けば聞くほど、やらされ感があり、不本意感があり、慢心があった。それらに目をつぶるのではなく、そこに宿る本質に斬り込んでいかなければミスはゼロにならない。「でも、そうした話をする雰囲気は薄れている」。後輩が再びうなずいた。

程度の差はあれ、人間が機械化してゆくことは、モノ作りをするうえで避けられない。だからこそチャールズ・チヤツプリンは映画「モダン・タイムス」で、ネジを回すことにしか興味のなくなった工員を演じたのだろう。

映画が作られたのは1930年代。以来、人間は機械化と格闘している。それを承知し、難問を乗り越えてモノ作りをしてゆく行為は称賛に値する。けれどもかつての定年年齢に近づいた自分は、そこから別の世界に移っても許されるのではないか。

そう思いつつも、まだ躊躇がある。「逃避」という言葉が彼の頭から消えてくれない。1年間、港町で働く人たちと交わることで、自分の本心を読み取ってみようと彼は思う。

[出典:日経ビジネス、2010/03/22号、荒井 千暁=産業医]

このコラムについて
月1国、メーカーに勤務する51歳の「彼」の視点を通じて、働き方や生き方の多様性について考える。早期退職勧奨制度に手を挙げた彼だったが、基幹工場の工場長だった同期入社のKが急逝。会長直々に慰留され、Kの後任として単身赴任することになった。

戻る