【ワンポイントリリーフ】

2週間前のこと。自席を整理していた彼のパソコンに秘書室長からメールが入った。「会長室へ行ってください」。 あるメーカーで早期退職勧奨制度に手を挙げた51歳の彼は、「なぜだろう」と思いつつエレベーターに乗った。

会長室へ通された彼は、「あなたが手を挙げたことは知っている」と会長から切り出され、そこで訃報を知らされた。移転して一回り大きくなった基幹工場で工場長をしていた55歳のKが昨夜、急性心不全で亡くなったという。 「退職を一度棚上げして、Kさんの後任として赴任してくれませんか。あなたを採用した私から説得してくれと、社長から頼まれてね」。自宅から新工場は遠い。受ければ単身赴任になる。

冷めていく熱意
人件費を抑えたいといった理由で、入社1年目の社員を含めた全員を対象に早期退職勧奨制度の説明会があったのは先月。手を挙げた者は誰でも辞めてよいとの説明だった。ある役員が語った言葉が妙に生々しかった。

「40歳前後になると、伸びる人と、しぼんでゆく人とがはっきりする。合っていない仕事をしてしぼんでしまう人には、責任を感じている。別の道に進むことで花開く例はたくさんある。背中を押すのも会社の仕事」

言葉の裏にウソを感じた彼の中で、何かが急速に冷えていった。

高校を出て入社し、製造ラインに配属された。モノ作りには、規律と協調性が求められる。しかし、それだけではなかった。大事なのは熱意だ。不良品が連続した時、現場を救ったのは試作3課だった。リコール対策では開発4課が、徹夜も厭わず3日がかりで対応策を打ち出した。チームに熱意があるかどうかは、一緊急事態に見舞われた時に分かる。真っ赤な鉄の塊のようになれるか否か。そこが分岐点だ。見かけは黒くても、冷めてはいけない。熱い部分を抱え続けるために必要なもの−−それは、悔しさだとKは言った。

「失敗してもあきらめないこと。カッカしてしまったら得るものは何もない。真に熱くなるには、すべてを凍てつかせるほどの冷たさも必要。先入観を捨てて冷静な気持ちで動き出せば、そのうち答えが見えてくる」

同期入社組のエースで、常に一歩先んじていたKは、静かにそう語った。

45歳で基幹工場の工場長になったKから彼は誘われた。「副工場長になってくれないか」。本音を言えば、彼は高卒であることが30代まで引け目だった。しかしKはこだわらなかった。

当時41歳だった彼は、工場の運営がいかに大変かを思い知った。無関心を装う従業員にどう火をつけるか。教育についても議論を重ね、横断的な自主活動奨励制度を作った。奨励資金を配り、活動内容を掲示板に張り出した。

本社に戻って早期退職説明会の場で冷えていったのは、ほんのり赤かった鉄の塊だったのか。彼はそれを、人間への信頼と呼ぶ。一度冷え切った信頼と、Kを失ったことの悔しさが同居する中で、彼は苦渋の選択を会長に告げた。「1年、やってみます」。

[出典:日経ビジネス、2010/02/22号、荒井 千暁=産業医]

戻る