【多様性と画一性】

2009年は「人間らしく働き、生きるために」をテーマに、様々な職場の人間関係や働く人々の心情を、毎月1度 のペースで綴ってきた。2010年はある熱年単身赴任者の視点を通じて、「多様性」について考えていきたい。

企業が取り組むダイバーシティーや子育て支援は、多様性を認めようという点で一致している。多様性の対極に あるのは画一性だが、近代社会は画一性のほうを重んじてきた。例えば自然科学。科学者たちは自然界の様々な現 象を解析し続けた。それらを再構築する過程で原理や法則を見出し、自然科学に大いなる発展をもたらした。原理 や法則が生まれると、今度はそれを応用してみようという考えがわく。西洋医学はその典型だった。

ところが終末医療や脳死問題を契機に、画一性への反発と、多様性を容認することへの傾斜が起こった。管理さ れ支配されることへの反発であり、命への傲慢さや合理性への「ノー」であつた。それは同時に、画一性を追求し てきた自然科学や古典的西洋思想への「ノー」でもあったのだろう。

アダム・スミスの『国富論』には、次のような表現がある。「モノを交換し合う性質が人間の本能であって、その 性質こそが職業の違う人の間でこれほど目立つ能力の違いを生み出している。この性質があるからこそ、各人の 能力の違いが役立っている」。アダム・スミスは、多様性を人間の本質と捉えている。能力に差があることこそが、交換するに値するモノを生み出す源泉であると語っているようにも読める。

「よそを気にする病」の蔓延
物々交換が成り立つ世界には、相手が求めるものでないと交換してもらえないという、当たり前だが厳しい現実 がある。モノはあるが交換してもらえず、カネにもならないという事態は、相手が求めていないモノを一方的に生 み出す行為により生まれる。

相手にとって利益になるだろうモノを、自分の既知能力と向上心と好奇心に還元させて創出しようとする努力。 これにより産業は多様化し、状況の変化に応じた手が、一手また一手と打たれるようになる。複数の対策を打つこ とは、共倒れになるような危機から救われることにもつながる。

画一性に支配された世界では、個々の顔や能力が見えにくくなり、心を持った相手が原理や法則の向こうに追い やられる。1990年代からの日本は、ベンチマーキングという「よそを気にする病」に侵され、画一性が染みつい た。真似してでも無難な方がよいと思う人が多かったのだろう。

しかし、働き方や生き方が多様化する今、個人も企業もそれでは立ち行かなくなってきている。

「世の中には何一つまともなことを企てないがゆえに、過つことも全然ない人々がいる」とは、ゲーテの言葉。 無難への安易な道を捨て、新しい何かを企てて過ちを犯すのがヒトでもある。個人がそれぞれに考え、過ちを恐 れることなく真の豊かさを追い求める時期が来ているのではないだろうか。

[出典:日経ビジネス、2010/01/25号、荒井 千暁=産業医]

戻る