【歯の喪失と認知症】

歯周病の治療を先延ばしにしていたMさん(42歳)。「歯を抜くようなことになると認知症になるらしいよ」と言う友人の言葉が気になり、専門医に相談することにした。

30歳以上の成人の80%超に発症が見られると言われる歯周病。本人も気づかぬうちに、誰もがかかり得る疾患 である。

最近では、歯周病と心臓発作や脳梗塞、糖尿病、早産などとの関連性が指摘されるようになった。さらに進んだ 研究では、歯周病などにより歯が失われることで、認知症のリスクが高まるとの報告もあり、歯周病予防の重要性 が、ますます注目されている。

日本人が加齢とともに歯を失う原因のトップは、この歯周病である。75歳以上の健常者に残っている歯の平均本 数はわずか9本。先進国の中でも、そのレベルは低いと言わざるを得ない。

では、歯を失うことで、脳にどのような影響が出てくるのか。ネズミによる実験では、歯を抜いたネズミには、 学習・記憶力が著しく低下するという結果が報告されている。

実際、残歯率の低いアルツハイマー型認知症患者の脳をMRI(磁気共鳴画像装置)で撮影してみると、大脳の容 積や、学習・記憶力を司る脳の海馬付近の神経線椎が減少しているとの報告もある。

歯は単に「ものを噛む」働きだけでなく、歯を包む歯根膜から神経を通じて、脳への刺激を送る役割も果たして いる。咀嚼による刺激で、脳の中での血流量が大きく増加し、脳が活性化されるのだ。

特に、海馬への刺激が最も大きいとされている。そのため、歯を失うことで、脳へのバイパス的な役割を果たす 神経も同時に消失してしまい、脳を活性化するという重要な役割までもが断たれてしまうのである。

前述の通り、75歳以上の健常者の残歯数が平均9本なのに対し、アルツハイマー型認知症患者の残歯数は平均し て3本程度。この調査結果からも、「歯が残っているか否か」と認知症発症との関連性が高いことがうかがえる。

口内環境を整える重要性
ここで、歯周病について確認しておこう。歯周病とは、口腔内の「歯周病原性細菌」によって引き起こされる感 染症である。通常は、口腔内に様々な細菌がバランスよく存在している。しかし、体力が低下して免疫力が落ちた りすると、そのバランスが崩れて、体に害を及ぼす悪性の細菌が優位になってしまう。

歯周病原性細菌もその1つで、免疫力で排除できなくなると、組繊内に深く進入して炎症と組織破壊を繰り返 し、歯周病を発症させる。それはやがて全身へと波及していき、昨今言われているような、心臓や脳、糖尿病など への影響も表れるようになる。

予防のためには、まず口腔内の環境を整えること。歯垢(プラーク)や歯並び、噛み合わせなどの影響もあるの で、歯の定期検診は怠らないようにしてもらいたい。比較的軽い歯肉炎の段階であれば、歯を失うほど重症の歯周 病には至らずに済む。また、喫煙やストレスも歯周病のリスクファクターとなるため、節煙やストレス解消を心が けることも重要だと言えるだろう。

「80歳になっても自分の歯を20本保とう」という、「8020運動」が提唱されるようになって20年になる。平均寿 命が男女共に80歳近くになる日本の社会では、「死ぬまで自分の歯でものを食べる」ということは、この先ます ます進む高齢社会において、非常に重要な意味を持つ。

歯がなくなれば、味覚が鈍ってQOL(生活の質)が落ちるだけでなく、認知症のリスクも上がる。そのためにも、 歯を失う原因となる歯周病予防に努める必要がある。歯周病予防は生活習慣病をはじめ、全身疾患の予防にもなる。だからこそ、毎年1度の健康診断と一緒に、歯の健康診断も受けることを習慣にしてはしい。
(談話まとめ:新家 美佐子=医療ジャーナリスト)

[出典:日経ビジネス、2010/01/25号、渡辺 久=東京医科歯科大学大学院(東京都文京区)医歯学総合研究科准教授・歯学博士]

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