【1年を振り返る時間】

東京から新幹線で1時間ちょっと。駅を降りると、冷えた空気に包まれる。タクシーに揺られてホテルに着いた尾野さん(53歳)は、支配人と挨拶を交わし、今年もよろしくと告げた。

こちらに来る前に、入社4年目の部下から問われた。「1年を振り返るのに、わざわざそんなところまで行くのですか?」。同じ質問を、これまでいくたびか受けてきた。今の仕事は楽ではあるが、達成感がないとこぼしていたその部下を誘ったのは、昨日のこと。

「よければ一度、来てみるか?」。 最終の新幹線で部下が到着した。毎年通ううちに、この時間をともに過ごすようになった支配人も、私服に着替えてやってきた。部下を支配人に紹介して、ラウンジに向かう。部下は「この1年を振り返る」と超したリポートを用意していた。成し得たことや、取得した資格が列記されていた。

始めた当初は、自分もこんなことを書いていたと尾野さんは思う。「まとめてきたなら、それを手直しするといい」。部下は怪訝な頗になった。結果をいくら並べても記録でしかない。何を考え、何を思ったか。それを書き残すよう、尾野さんは部下に説いた。

翌日。小道に面した切り株の上に腰掛けて天を仰いだ。森には光が届かない。まるで2009年のようだと尾野さんは思う。大変な年だった。暗い気持ちがついぞ消えない年だった。午前3時のような年、と手帳にメモした。

「ひと仕事」できているか
年末の1日を使って、尾野さんはこの地に赴き、1年間を振り返る。森を歩きながら気づいたことをメモし、部屋にこもって思いを巡らす。「ひと仕事」できているか、気になることはないか。その2点に、ひたすら注力する。

午後4時。尾野さんと部下と支配人がラウンジに集まった。2009年の気になることに、尾野さんはこう書いた。「愛社精神は内定学生の8割が肯定。2〜5年が経つと5割に低下し、転職志向が強まるとのデータあり。現状への失望感から?」。分業が徹底されるようになって、手慣れた仕事が増えてゆく。その分、達成感は味わえなくなる。「達成感は、ひと仕事と同根ですものね」。続きは飲みながら、と支配人が誘う。良き時間の到来を予感した尾野さんは、部下の背を突いた。

ワインで頬を染めた尾野さんが口を開く。「あとでメモを読み返すと、こんなことにこだわっていたのかと、ため息が出る。半面、精神的に充実でき安堵している時は、ひと仕事らしい出来事が、その周辺に見いだせてうれしかった」。聞いていた支配人が同意した。「ひと仕事は、1年で実感できないことの方が多いのです」。

やって考えてやり直し、また考える。最初から最後まで、すべて自分の責任でこなす。結果についての言い訳はしない。「そんな仕事は、どうすればできるようになるのでしょう?」と部下が神妙な顔で支配人に問うた。「ひと仕事やってやろうと、力まないこと」。 部下が、今日初めて笑った。年末のひと時は、だから楽しい。

[出典:日経ビジネス、2009/12/21・30号、荒井 千暁=産業医]

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