【もう一手、あと一手】

「おまえは不満をこぼしにわざわざ来たのか」と、元社長に一喝された絵島さん(45歳)。一瞬ひるみながらも、「おまえ」呼ばわりされたことがうれしかった。女性初の部長である絵島さんは、人事部の「よろず相談室」の室長を任されて、もうすぐ2年になる。

その日の午後、入社して1年半になる女性社員のAさんから相談を受けた。春にできた円形脱毛症が拡大している。モノを壊したいという衝動に駆られ、自宅に帰ってから私物を壊してしまう日も増えている。この先の自分が怖いと思うようになった。どうすればよいかという相談だった。

現状をもう少し教えてとAさんに問うた絵島さんは、メモを取った。担当しているのはデリバリー。業務内容自体は面白いし、自分にも合っていると語った。「でも、1人ではこなしきれない量に押しつぶされそう」と彼女は悩んでいた。前任者は入社して3年で辞めていった。連絡先を交換していたので、先月相談に乗ってもらったという。そこで分かったのは離職理由。前任者も体調を壊していた。生理が来なくな り、砂を噛むような味気ない毎日だったと告げられた。事情を知らなかった絵島きんは言葉を失った。

女性に立ちはだかる壁
前任者が述べた悩みは2つ。1つは現場に人手が足りないこと。「早期希望退職者を募ってからひどくなった。業務の量は変わらないから残業しないと終わらない」。

もう1つは「女性の仕事」が決められていることへの違和感。電話交換手も健保基金の担当者も、特定の女性がこなしている。熟年まで一貫した仕事をするのも立派だが、「自分もああなるしかないのかと不安があった」と打ち明けられた。Aさんはあっと気づいた。「それが私の悩みなのかもしれない」。

デリバリー業務も大半が女性の仕事で、目立った昇進もなく、ルーチンワークをこなすだけで年を取ってゆく。「慣行という壁に女性があきらめていく現状を、ウチの人事は見ようとしない」と、前任者はため息を漏らした。

打開策が浮かばなかった絵島さんは、元社長を訪ねてみようと思った。やってくる訪問者にヒントを与えるという、“自称相談役”を引退後にしているとの噂を耳にしたからだ。よろず相談室は、元社長が設置した。室長に任命されるに当たり、絵島さんはその趣旨を社長から聞かされていた。

最初は人事に置くが、いずれ時期を見てCSR(企業の社会的責任)部門に移動させる。現場の声に耳を傾け、解決法を編み出せる企業人を育むならCSRの方が妥当。内部統制をし、不採算部門の経営改善をするだけでなく、モラルインキュベーターとしてのCSRを作り上げたい。「人事に染み込んだ体質や閉塞感を正面から突けた時がCSRに移す潮時。もう一手、二手がまだ足りない。火の粉を被れ」。

絵島さんは翌日、Aさんの事業本部長と3時間の意見交換をした。結論には至らなかったが、「1カ月、時間をくれないか」との返事をもらえた。

[出典:日経ビジネス、2009/11/23号、荒井 千暁=産業医]

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