【幸せ運ぶ江戸の猫】

江戸の猫は、しばしば人の言葉を話した。1795(寛政7)年春、牛込山吹町の和尚の飼い猫が庭で鳩を狙っていた。和尚が鳩を逃がすと、猫が不服そうに「残念」と言った。1835(天保6)年秋には、牛込榎町の幕臣・羽島氏の飼い猫がしゃべった。縁側で飼い猫が寝ていると、隣家の猫がやってきて「ニャア」と鳴いた。すると、「来たな」と飼い猫が返事をした。以来、牛込の猫は言葉を話すと評判になった。

しやべったのは牛込の猫だけではない。江戸増上寺の脇寺・徳水院に飼われていた猫が、ネズミを追いかけ回していた時に、梁から落ちてしまった。その時に、「南無三宝(なむさんぽう)」と大声を出した。

しゃべらないが、恩返しをする忠義な猫もいた。両替町(銀座)の時田喜三郎の飼い猫は、日頃時田家へ出入りする魚屋から魚肉をもらっていた。その魚屋が長患いでカネに困っていた時に、誰かが、2両を家に投げ込んでくれた。おかげで魚屋の病気はすっかり良くなり、再び時田家へ顔を出したが、いつもの猫がいない。訳を聞くと、猫が2両をくわえてカネを盗み出したので、打ち殺したという。魚屋は涙を流して、「猫が困っている私にお金をくれたのだ」と訴えた。

心癒やすペットとの触れ合い
こんな噂話がまことしやかに語られるほど、江戸の人々は呑気で、また無類の猫好きでもあった。武家や裕福な商家だけでなく、貧しい庶民も猫を飼っていた。有名な浮世絵師の歌川国芳は数匹の猫を飼い、いつも懐へ入れたり、膝の上に乗せてかわいがったりした。猫の絵もたくさん描いている。

幕末の才女・天璋院篤姫も大の猫好きで、サト姫という行儀のいい猫を飼っていた。この猫は食べ物をもらっても、その場で口にせず、くわえて自分の膳へ運んで食べた。

江戸で猫がよく飼われたのはネズミ対策でもあったが、やはりペットが飼い主の心を癒やす大切な存在だったからだ。今では、そうした効果はアニマルセラピーとして認められている。

ペットを撫でていると、なぜか心がなごむ。休もリラックスし、血圧も下がる。心臓病患者ではペットを飼っている人の方が長生きをする、というデータが数多くある。ペットを撫でた人が全員、前頭前野と呼ばれる大脳皮質の部分が活性化した、という実験結果もある。前頭前野は高度な精神活動を司るところ。ここを活性化することは、老化と認知症の予防には欠かせない。

筆者の知人の女性は若くして夫を亡くしたが、猫を飼うことでその悲しみを乗り越えることができたという。彼女は会うたびに「猫が私の生きる張り合いだった」と話す。人は、いつも愛情を注ぐことを欲している。どんな愛情でも素直に受け止めてくれる動物ほど、人の心を慰めるものはない。

猫が死ぬと、江戸っ子は墓を建て、大切に葬った。文人の大田南畝は記録している。「今年(1807年)、江戸で多くの猫が死に、両国の回向院に600匹の猫が葬られた」。件の魚屋が忠義な猫を葬ったのも、ここの猫塚である。

[出典:日経ビジネス、2009/11/16号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]

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