【若者たちに経験を語る】

取引先での修理を終えて、その場にいた若者たち6人と居酒屋に入った与田さん(59歳)は、自分のことを一技術者だと言う。

工業高校を出てから大手の工作機械メーカーで働いていたが、2002年に消滅。以来、数人で小さな会社を作って働いている。商社からの依頼で海外に出向くこともある。多くは日本貿易振興機構(ジェトロ)の仕事だ。

日本の高度成長を支えてきたが、主な活躍の場は海外だった。米国と欧州とオーストラリアに計19年駐在した。流暢な英語をしゃべる与田さんに、「どこで習ったのですか」と問う若者たち。「語学は慣れ。現地で文化ごと受け入れる」と、与田さんは答えた。

例えば、と言って湾のことを話す。東京湾は「ペイ(bay)」、有名な真珠湾は「ハーバー(harbor)。それならメキシコ湾は?」。若者たちに時間を与える与田さん。「広大なメキシコ湾は『ザ・ガルフ・オプ・メキシコ』で『ガルフ(gulf)』。ドパイにある入り江は『クリーク(creek)』。理屈や暗記じゃなく、現物を見るとすっと頭に入るんだ」。

現物がいかに大事かは、仕事も同じだと与田さんは語る。現地で修理を頼まれる機械は、自社製品に限らなかった。何とかしてもらえないかと相談された機械はイングランド製だったり、ドイツ製だったりした。「でも、基礎構造はどれも同じだよ」と、与田さん。

そこから土台がいかに大事かという話になる。「オレの経験だと、土台さえしっかりしていれば何とかなる。建築でも足場を大事にするでしょう?どうしてもダメなら、その時はゴメンナサイ」。与田さんが語ったのはそれだけだった。あとは若者たちの話をうんうんと聞く。

路頭に迷わせないために
若い人と交流すると、得ることが大きいと言う与田さん。ギブ・アンド・テークという考え方は好きになれない。だから、いつも与田さんが奢る。「年長者だから当然」と屈託がない。「求められれば、自分のままをさらけ出す。そうすると、こちらに足りないものが自然に返ってくる」。

交流の機会を一度でも持つと、以後の対応がスムーズになる。顔を見るだけで微笑みが返ってくる。相手が自分の会社であろうがなかろうが関係ない。「仕事という面でつながっているのだから」と、一体感を重視する。

焼酎の水割りを作りながら、旺盛に食べ、笑い、語る若者たち。見ていたら、ふと切なくなった。ある大臣の言葉を思い出したのだ。「失業で自殺することなんかないですよ。次の職が見つかればいいんです。自分の命を絶つということが何かおかしい」。

分かっていないんだよな、お偉いさんはと与田さんは思う。目の前にいる若者たちと似た年頃の非正規社員たちが解雇され、住まいを追い出され、次の職場にたどり着けないまま、ハローワーク巡りをしている。この若者たちを路頭に迷わせてはいけない。そのためにも、裸になって経験を語ろう。やけを起こして辞めたりするなよと告げられればいいが、それでは説教になってしまう。そっぼを向いた若者たちは、大人たちを信用しなくなるだろう。

「何歳まで働く予定ですか?」と問われた与田さん。機械油ですっかり黒ずんだ指を見ながら、「お声がかからなくなった時、かな」と言った。

[出典:日経ビジネス、2009/09/28号、荒井 千暁=産業医]

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