【実験から生まれた江戸のビール】

摂津三田藩出身の蘭学者、川本幸民がビールを作ろうと思い立ったのは、1853(嘉永6)年のことである。ペリー艦隊に招かれてビールを飲んだ人の話を開いたことがきっかけらしいが、その目的は本当にビールが作れるかどうか、試してみることにあった。あくまでも学問的な実験だった。

後に幸民はオランダ語版のドイツの農芸化学書『化学の学枚』を和訳し、『化学新書』を著す。そこには、現代とほとんど変わらないビールの製法が記してあった。この時、「化学」という言葉を作ったのが幸民である。それまでは化学は「舎密(せいみ)学」と呼ばれていた。そのため、幸民は日本の化学とビールの始祖とされている。

実験と言っても、実験室があるわけではない。幸民はビールを作るために、江戸は茅場町にあった自宅の庭に窯を築き、大麦、馬鈴薯、酵母、それに酒の醸造に適した水を調達した。中でも、頭を悩ましたのは、ホップを手に入れることだろう。ホップはビールに独特の苦みと香りをつけるだけでなく、雑菌の繁殖を抑えたり、泡持ちを良くしてくれる、ビールの命である。

当時の日本に欧州のホップはなかった。ただし、ホップの変種、カラハナソウが本州中部から北の山地に自生していた。幸民は、これをホップの代わりに用いた。

カラハナソウの実の鱗片を剥がすと内側に黄色い粒があり、これがものすごく苦い。酵母による醗酵過程の前に幸民は煮沸した麦汁にこの黄色い粒を粉にしたものを混ぜてみた。それからもう一度煮沸して常温で冷やす――。果たしてビールはできたのだろうか。

最近になってキリンビール神戸工場で、幸民のビールが再現された。それによると、泡は足りないが、フルーティーな味わいのビールが出来上がった。幸民の実験は大成功だった。今やビールは有名になったが、幸民の名前が忘れられているのは残念だ。

「ビールで痛風悪化」は誤解
ついでに、ビールについての誤解も解いておこう。ビールは尿酸値を上げやすいので、痛風の人は飲んではいけない、とよく言われる。ビールには、尿酸のもとになるプリン体がほかのアルコールより多く含まれるからだ。筆者はかつて、このことを痛風の権威である聖マリアンナ医科大学の西岡久寿樹教授に質問してみた。西岡教授は言下にビール悪者説を否定された。「ビールを一時的にたくさん飲んだからといって、それで痛風が悪くなることはありません」。

プリン体は細胞の中の核酸を構成する成分で、ほとんどの食品に含まれている。ビールだけ恐れても意味がない。問題は、カロリーの取り過ぎや強いストレスのかかるような生活を続けていると、尿酸が作られやすくなること。いけないのはカロリーを取り過ぎる食習慣である、と西岡教授は言った。

適度にビールを飲むなら、健康にプラスの面も多い。例えば、ビールには血栓を溶かす作用があり、ほどよく飲めば心筋梗塞や脳梗塞を予防する。発ガンを防いだ動物実験の報告もある。赤ワインのポリフェノールに優れた抗酸化作用があることは有名だが、ビールにもたくさんのポリフェノールが含まれているのだ。

[出典:日経ビジネス、2009/07/20号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]

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