【高野長英のジャガイモ】

1824(文政7)年8月、仙台の医師高野玄斎の元へ7mにも及ぶ長い手紙が飛脚便で届けられた。江戸に遊学に出た養子の長英からの久々の便りだった。手紙には自分の身に降りかかった災難について書かれていた。江戸に来る途中に知り合った男の世話をして、仕事を見つけてあげたのはいいが、男が金品を盗んで逐電。その穴埋めに、半年間も自分が中間奉公をしたという。しかも、男になんの恨みも持っていないようなのだ。

それだけではない。今度は旧友の奉公口を世話したところ、この男も前金を持って逃亡。長英は奉公先の屋敷で毎晩按摩をして、その返済をしたというのだ。人がいいにも程がある。

高野長英ほど個性的な蘭学者はいない。無礼で、尊大かと思うと、任侠に富み、弱者にとりわけ優しかった。幕政批判の書『夢物語』を執筆し、1839(天保10)年に捕らえられ、獄につながれても、彼のために赦免運動を手伝ったり、脱獄するための放火を引き受ける渡世人たちがいた。

脱獄後も心服する者たちによって逃亡を助けられ、幕府の全権力を向こうに回して、足掛け7年にわたり、日本を北から南まで駆け巡った。最後には、薬品で面相を変えて江戸に舞い戻り、′青山百人町で妻ゆきと暮らしていたが、ひょんなことから幕吏に気がつかれることとなった。

潜伏先で、オランダの本をあまりにもうまく翻訳しすぎたためだ。当時、難解な原書をこんなに分かりやすく訳せるのは長英以外にいなかったので、彼が江戸にいることがばれてしまった。1850(嘉永3)年、長英は捕吏に襲われると直ちに自刃した。享年46。

メタボ予防にも有効
長英の潜行は有名だが、彼の政治的な資質や見通しが優れていたとは思えない。天保の飢饉の際に長英は上州の門人たちの実験を基に『救荒二物考』を著して、痩せ地でも育つジャガイモ栽培の促進を図った。むしろその姿勢にこそ、長英の真骨頂があるのではないか。後にジャガイモは日本各地で栽培され、多くの人の窮乏を救った。餓死を免れた人たちはジャガイモのことを「御助芋」と呼んだ。

ジャガイモに情の厚い長英の片鱗を見るのは筆者だけではあるまい。ジャガイモは今も、世界で多くの人を救っている。小麦や米の価格が高騰しても、ジャガイモは安価のまま。苛酷な環境でも育ち、最短50日で収穫でき、収穫量も小麦や米の2〜3倍にもなる。今後の食料危機を救う作物としてますます期待されている。

栄養のバランスもいい。ジャガイモを主食にしたところ、アイルランドでは1754年には320万人だった人口が100年後には820万人に増加した。茹でたジャガイモはトウモロコシよりも多くのたんばく質を含み、カルシウムは2倍、ビタミンCは果物に負けないほど豊富だ。ジャガイモのビタミンCはでんぷんに守られているため、加熱調理しても壊れにくい特徴を持つ。

ジャガイモは満腹感を持続させ、メタポリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の予防にも役立つ。コレシストキニンという満腹ホルモンを分泌させるためだ。しかもカロリーはパンの3分の1。さすが長英が見込んだ食物である。

[出典:日経ビジネス、2009/03/30号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]

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