【「考えない社員」の氾濫】

書類を作成することが目的になっている。ある書類は数値に誤りがあり、ある書類は支店名が逆に記されている。それでも捺印されている。誰かが間違いを見つけてくれるからいいようなものの、これは何だ? 俺たちがしている業務は、仕事と言えるのか?

 大木さん(商社人事部勤務、49歳)が入社した頃、「実務をこなすのに哲学はいらない」と言った上司がいた。それで、会社経営に思想や哲学は必要なのか、それとも単なるお題目かで議論したことがあった。哲学とは、生きやすくなるための知恵であり、会社の哲学は社会に貢献するための決意表明という意見が多かった。

例えば井深大氏なら、自由闊達で愉快な技術開発の場を目指そうという哲学があった。桜田武氏なら、職場が一丸となった協働集団。松下幸之助氏な ら水道哲学。水道水のように、物資を安価かつ無尽蔵にして楽土を築くことが産業人の使命だと説いた。

書類にある単純なミスや見落としは、考える行為をしなくなったために起きているのではないか。哲学は知恵であるとともに、「考え方」でもある。だが知恵も考え方も、思惑や打算や多忙により簡単にかき消されてしまう。

「社の哲学」の芽生え
哲学とまでは呼べなくとも、先人たちの思いを現場に浸透させ、継続することの難しさを実感した20余年だったと振り返る大木さんは、新入社員たちへの教育を任されているトレーナーの研修にKJ法を取り入れた。

川喜田二郎氏が編み出したKJ法は、データをまとめたり、混沌の中に潜む筋道を浮き彫りにする手法として知られる。集まったメンバー6人を2つのグループに分けてカードを配布。企業の思想や哲学はなぜ消えてしまうのか。それを課題にして、出てきた要素を手早くカードに書き、共通なものをくくって見出しをつけてもらった。それらを線で結んで図式化した後に具体的な文章を作る。

研修を終えてから向かったのは、社に近い居酒屋。38歳になる部下のAさんが「生きがい」という言葉を口にした。やる気とかモチベーションにつながる概念を川喜田氏は『生きがいの組織論』の中で既に説いているという。KJ法をトレーナーという立場になって実践するには、川喜田氏本人の思想をもっと知っておきたいと思って探したら、その本に出合ったらしい。

別の部署にいる31歳のBさんも、偶然、学生時代に川喜田氏の著書を読んでいた。創造的であるための条件として川喜田氏が打ち出した3つのポイントを、Bさんは語った。1つ、自発的であること。2つ、モデルケースがなく創意工夫をせねばならないこと。3つ、切迫した切実な事柄であること。

「景気後退と言われる時代、何が創造的なのかを新入社員たちと話したいですね」とBさんが語り、「生きがいと仕事は、いつだって直結しているはず」とAさんが語った。

職場の先輩たちの「考える」姿を見て、新入社員も「考える」ことが習慣づけられるのではないか。どんな時代であっても「ひたむきに考える姿勢」が、いつしか社の「哲学」となって定着してくれればいい。大木さんは生きにくい時代を生き抜く知恵として、ようやく芽生えた哲学の芽を大事に育てていこうと考えている。

[出典:日経ビジネス、2009/03/09号、荒井 千暁=産業医]

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