【人生が交錯する社友会にて】
「今年の社友会は24日だったか?」
Kさんからの電話を辻さん(商社勤務、56歳)が受けたのは、10月末の日曜日だった。Kさんは65歳。辻さんの
元上司に当たる。居間のカレンダーに目をやった辻さんは、「はい、そうです」と答えた。社友会は毎年11月23日、
勤労感謝の日に行われる。それが今年は会長の都合で翌日になった。
人事部にいる辻さんら現役社員は、社友会の裏方を務める。開催日を記した出欠確認のはがきを出し、出席の確
認が取れたら社友会の経年名簿に「○」をつける。社友会の当日は会計から会場整理まで、ホテルマンと連携しなが
ら動き回る。
Kさんは前回、体調を崩して欠席だったから、近況を開いたのは2年前の社友会だったと辻さんは思い出す。当
時、「悠々自適ってわけじゃないんだ」と話していたKさんは、どこか寂しそうだった。
想像していた程度に年金ももらえているし、思うようになる時間だってたんまりある。「いや、むしろそれが問
題でね」と言いながらKさんは、辻さんの手帳を見たがった。そして、「オレも最近まで手帳を持ち歩いていたん
だ」と、しみじみ眺めていた。
公民館のパソコン教室の日をメモしてみたり、新開で見た展覧会の日を書き込んでみたり。「そのうち桝目を埋
めようとしている自分がイヤになってね。もうやめたよ」。
図書館に行っても、どの本を読もうかと迷っているうち、半日がつぶれる。それでも時間を浪費したという感覚が
ない。読んでみたいとあれだけ思っていた本でさえ、いざ手に取ってみると気持ちが萎えている。読書や鑑賞より、
活動をしてみたいという思いが浮かぶ。「それで、ボランティアも考えてはみたんだが、踏み出せないんだ」。
そんなことを話していたところにやってきたのがGさん。Kさんの上司だったから、辻さんにとっては、上司の
上司に当たる。御年70歳。「浮かん顔しとるな、オマエ」。図星を指されたKさんは、酒で赤くなった顔を一層赤らめた。「…先輩は楽しそうですね」と言うと、Gさんは「そう見えるか」と笑った。
大柄なGさんは学生時代、ラグビー部でフォワードだった。そのGさんは日がな一日、ガラス工芸に取り組んで
いるらしい。炉から出したばかりの赤い玉をゆっくり吹いて、炉に戻す。再び真っ赤になったら、今度は表面を回
すようにして、濡れた新聞紙で冷やす。
「ガラスは何歳から始めたのですか」と問うたKさんに、「60の手習いさ」とGさんは答えた。「もっと早くから
やってりゃよかった。体力も衰えてきたから、夏は地獄だよ」。
深く刻まれた皺が、笑うと好々爺のようだ。「いいですね」とKさんから言われたGさんは、財布からカードを1
枚引き抜くと、Kさんに渡した。「工房の住所はここ。一度、見に来いよ」。
あれから2年。社友会でKさんの話を早く聞いてみたいと辻さんは思う。あと数年で定年を迎える身だけに、K
さんの「今」を知りたい。
「生きているのなら何かをしたい」という気持ちを、人は容易には消せないのかもしれない。次に部下たちと飲
んだ時、社友たちの動向も伝えてみようかと辻さんは思った。
[出典:日経ビジネス、2008/11/10号、荒井 千暁=産業医]
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