【“チンパンジー課長”からのメール】

大手保険会社に勤務するKさん(54歳)は、体調を崩して欠勤になったり、 離職していく社員が絶えない社内のある部署の存在が気になっていた。

Kさんはメールを打った。相手は同期入社の同僚。企業向け保険事業を統 括している男だ。喫煙室に行ったら、同僚がすぐさまやってきた。たばこに 火をつけて、一服。「1本分の時間だけだぞ」とクギを刺された。「おまえから 『ちょっとたばこ室までご足労を』というメールが来た時はロクなことがな い」とあきれられ、「またトラブルか」と真顔で問われた。真意を読み取られ てうなずいたKさんは問いかけた。

「死ねとか、キレるっていう言葉、今時、当たり前なんだろうか?」
「当たり前ではなかろう。あくまでもプログ(日記風簡易ホームページ) やメール上の用語じゃないのか?」と、同僚はきょとんとした。

問題の部署の人員は30人余り。漏れ聞こえてくるのは、0課長(41歳)の口 の悪さだった。何かしら意見を述べると、「おまえの知識はゴミだ」「やらね ばならないことが分からん奴はここにいるな」と、きつい口調で返ってくる らしい。その後は「あのなあ、おまえ死ね」「オレはプチ切れた」と決めの一 言で締めくくられてしまうという。

ほう、と口を開けた同僚はしばらく黙っていたが、そのうち語り始めた。

「そういやO課長はメールを多用するな。つい昨日もメールが送られてき たけれど、延々と意見が述べられていた。一方的な主張だったから読んでい て疲れたよ。実は先日、人類学者の話を聞く機会があってさ」

そこでメールの話が出たという。メールとチンパンジーで共通しているの は、2項関係。すなわち、相手と私という関係だ。それに対して人間は、3 項関係が成り立つらしい。相手と、私と、もう1つ。例えば、興味を持った 対象物に対して相手と私が目配せをする。それによって、対象物に直接触れ なくても話が進む。

「相手の反応を確認しながら話すという3項関係は、人間だけの特性であ り高次機能なんだそうだ。メールやプログは顔がない情報。だから知らない 人や苦手な相手とでも交わすことができる一方、誤解が生じることもあるし、 プログなら炎上もする。普段は意識していないけれど、面と向かった相手と 話す場合は、それなりの技量がいるってことさ。相手の反応を確認しながら 話さなきゃならんからな」

O課長の場合は、部下とのコミュニケーションで3項関係が成立せず、メ ールのような2項関係にとどまるのだろう。同僚の「さしずめチンパンジー か」の言葉に、Kさんは苦笑した。

仕事場で腑に落ちない顔をしている人物には、すぐ声をかけるようにして いるという同僚。いつもと違う誰かを見つけるには、いつもの様子を知って おく必要がある。

「あれ? どうした?という違和感があれば、その場で呼んで話す。部 下の体調を管理するためのツボは2つ。即行と直面談。一口にメールと言 っても、話し合いの日時とか結果を伝えるためとかなら一向に構わないんだ よ、今日のおまえみたいに」

手を振りながら喫煙室を出ていった同僚は大所帯を統括しているだけある な、とKさんは感心する。

[出典:日経ビジネス、2008/08/18号、荒井 千暁=産業医]

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