【成果主義への静かなる報復】
成果主義の弊害として、「設定する目標が低くなっている」「失敗を恐れ
て、高い目標にチャレンジしなくなった」という指摘がよく聞かれる。目標
がどれくらい達成できたかが評価され、それがひいては給与にも反映され
る。だからハードルをクリアできるよう目標設定を低くし、リスクを回避し
ようと部下たちは考えるのだという。
それが事実なら、目標を立てた時点で勝負はついている。半面、「そんな
ことはない」と、上司や人事部門は言う。「目標は、上司と部下の話し合い
によって決まるのだから、一方的に低く設定しようとしたところで、不可能
だろう」。
そもそもチャレンジシートなどと呼ばれる目標メニューのリストは、まず
部下が作り、それを上司が判断して完成品となる。それならば、なぜ部下た
ちは、上司にそれと悟られないような巧妙な目標設定が可能なのか。
「現場の事情に精通しているからですよ」と、あっさり語ったのは、不安
神経症を経験した31歳のSさん(金融、男性)。それだけなら話は簡単だ。
上司は現場に精通するだけの努力を惜しまねばよい。そのうえで、「この目
標は低い」と指摘すればよいのだ。
だが、どんな目標を設定しようと、最終的な評価は目標をどれだけ達成で
きたかで決まる。Sさんは上司から、「成果が出なければ、戦力外通告する」
と言われてしまったという。脅されたうえに、上司が掲げた数値の曖昧さや、
下された評価のいいかげんさに振り回されて、Sさんは仕事が手につかなく
なった。
こうなれば、上司と部下のバトルが始まる。そっちがそうなら、こっちに
も考えがある。やられたのだから、やり返す−−−こうしたつまらぬ争いが、
職場のあちらこちらで発生することになる。
部下たちにとって、自由になる裁量は限られている。ならば静かなる報復
を試みよう。一方的な評価を受けて体を病むくらいなら、密やかなる抵抗を
試みよう。そうした思いが評価される側にわいてくるようになると、Sさん
は指摘する。
成果主義の推進者たちは「一人ひとりのカが十分に発揮されれば業績は後
からついてくる」と説き、「さぼっている人にはそれなりのペナルティーを」
と主張する。そこには、人間を改造しようという意図が垣間見える。
「成果主義は米国的なシステムだが、米国の企業には人間改造的な仕掛けが
ない。外枠にはめてやろうというモールデイング(molding)といった姿勢
が、人間に合わないことを知っているからです」。米国企業に長くいたこと
のある方は、そう語った。ならば、成果主義は日本流に換骨奪胎されて導入
されてしまったのかもしれない。
元来、チームワークを重視し、縁の下の力持ち的な存在を認めてきた日本
企業にとって、現代にふさわしい人事システムとはどういうものだろうか。
少なくとも、同じ働く者同士が、バトルを生み出すようなものではないこと
だけは確かだろう。
[出典:日経ビジネス、2008/03/17号、荒井千暁=産業医]
参考;
荒井千暁(あらい・ちあき)氏
1955年生まれ。
新潟大学医学部卒業。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。
現在、大手製造企業にて統括産業医の立場から、働く人
の心のケアを行っている。
近刊に『人を育てる時代は終わったか』(PHP研究所)。
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