【理不尽な上司に追い詰められて】

大手メーカーに勤務するJ君(27歳)は、ご両親の勧めで大学4年生の頃か ら当院に通っている。進路の相談にも乗り、入社時の健康診断書も当院から 発行した。「定年まで健康な体でいる」という目標を持っていたJ君は、社会 人になってからも3カ月に1度は来院し、健康管理を怠らなかった。
ところが3年経ったある日、体調が優れないと言って、夜遅くに来院する。 検査をしても特に問題はない。それでも夜眠れず、食欲が落ちているという。 何かストレスがあるのではと聞くと、半年前に異動になった営業部の室長、 O氏(47歳)との関係を打ち明けた。
O氏は、J君と同僚のS君に目をつけ、執拗に絡んでくるのだという。例 えば、「仕事はどうかね?」と聞かれ「順調です」と答えると、「おまえの立場で 『順調』なんて10年早いんだよ、思い上がるな!」と怒鳴られる。逆に「大 変です」と答えれば、「下っ端のくせに頑張りが足りないんだよ、給料泥棒!」 と、どちらにしても罵倒され、まともに答えられなくなるという。
O氏は欧州支社から帰国して営業部の室長になっていたが、現地でも同様 に数人の社員を辞職に追い込み、そのうちの1人から訴えられたため、日本 に帰されたとの噂だった。それでも懲りずに、O氏はJ君やS君をいじめた。
残業が深夜に及んだ時は、帰宅間際に呼ばれて、誰もいない中で2〜3時 間、猫が鼠をいたぶるように、ねちねちと説教をする。眠気のあまりふらつ くと、大腿部を思いきり蹴り上げられる。O氏の上司に相談しても、ただ「頑 張れ」の一言で片づけられた。会社はセクシュアル・ハラスメントには厳し いが、パワーハラスメントは指導の一環として、お咎めなしだったのだ。
同僚のS君は左半身の震えが止まらなくなって倒れ、、出社できなくなって いた。万が一のため、J君にも診断書を書くから休んだ方がいいと勧めた が、J君は「休めば室長に負けたことになります」と言って聞かなかった。
何とか歯を食いしばって仕事を続けたが、時々、「こんな奴は早く死んで ほしい」という思いが演をよぎり、O氏の首に手をかけそうにまでなったと いう。だが、こんな人のために犯罪者になっても仕方ないと言い聞かせ、逆 に0氏に仕事上の厳しい質問をして、吸収できるものは吸収しようと思い直 した。そうした質問に対しては、O氏は真撃に答えようとした。さすがに室 長になった人だけあって、仕事はできた。そのため、会社としても、O氏を 更迭しにくかったのである。
3カ月後、J君は晴れ晴れとした顔つきで来院した。倒れて休んでいたS 君が、弁護士と一緒に人事部長に直訴したことで、O氏は地方の子会社に飛 ばされたのだという。同時に、J君も別の部署に異動した。今の上司も厳し いが、理不尽な指導は一切なく、仕事以外にもかわいくてたまらない娘の話 をするなど、O氏には欠けていた人間味が感じられるという。
入社5年目の春、仕事も生活も安定したJ君は、かねておつき合いのあっ た女性とめでたくゴールインした。結婚後初めて来院したJ君は、「うちの 奥さんは先生以上に健康管理にうるさいです」とのろけていた。

[出典:日経ビジネス、2007/11/19号、安岡博之=南赤坂クリニック院長]

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