【人はいつでも幸福になれる】

1838(天保9)年7月、江戸の考証学者、山崎美成(よししげ)は困窮を極めていた。雨 漏りがする下谷の金杉の荒れ果てた借家で、美成夫婦は幼い子供を抱えて、 毎日の食事にも事欠く有り様だった。困ったことに盆近くになってから、家 主から立ち退きを迫られた。仕方なしに移ったところは、畳もない、戸障子 もない、さらにひどいあばら屋だった。
美成は薬種商の裕福な家に生まれたが、15歳から終日机に向かい、本を読 むようになった。カネさえあれば書を求め、部屋に万巻の書物を積み上げた。 倦むことなく知識を蓄えると、次々とあらゆる分野の著書を成した。
その数は膨大で、35歳で500余巻の著書があった。学問好きが高じて学者 になったが、その間、家業を顧みなかったために、没落してしまったのだ。
哀れな末路をたどった趣味人として美成はしばしば取り上げられるが、廃 屋で暮らす美成は風体はぼろぼろでも、どこか光っていた。彼が使うがら くたのような調度品も、実は甲斐の枡(ます)、米沢のひさげ、栗山の桶、盛岡の大根 下ろしといった名品ばかり。宇治の平等院の板戸で廃屋に囲いを作り、500 年前の石卒塔婆は漬物石代わりだった。そこには何か余裕すら感じられる。
快と不快、満足と不満、幸と不幸、それらに意味を与えているのは、その 人本人である。決して他人ではない。自分自身が自分の人生に意味を見いだ せれば、人はどんな時でも悲嘆に暮れることはない。そう主張するのはロゴ セラピー(実存分析)のX・E・フランクル氏だが、美成の最後の心境も、それ だったと私は信じている。

[出典:日経ビジネス、2007/08/20号、堀田 宗路=医学ジャーナリスト]

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