【白血病の友人が遺したもの】

私にはF君という大学時代からの友人がいた。「いた」というのは、20年前、 27歳で亡くなったからだ。慢性骨髄性白血病だった。この病気では多くの 方が命を落としている。F君の病気は皮肉にも、医師になる直前の健康診断 で見つかった。テニス部の部長だったF君は、暇さえあればラケットを振り、 いつも真っ黒に日焼けしていた。
彼は外科医を目指していた。だが白血病であることが判明し、急遽、外科 医よりは時間の取れる内科医に志望を変えた。自身の病気と闘うためだ。医 師になって半年後、F君は肥大した脾臓の摘出手術を受けた。私は白血病関 連の文献や本を携え、病室に見舞った。既読のものばかりだったが、F君は快 く受け取った。愚痴や自暴自棄の言葉が出るのではと覚悟していたが、F君 は冷静で、楽しそうに振る舞っていた。本当に彼が白血病なのかと疑問に思っ たほどだ。
当時の抗ガン剤では白血病は消えなかった。1年後、彼は骨髄移植の手術 を米国のシアトルで受けることになる。現在では、骨髄バンクができ、大抵の 大学病院が無菌室を持っているため、国内でも骨髄移植ができる。だが、当 時の日本では無理だった。
手術にかかる費用は新築のマンションが1室買えるほど高かった。そのう ちの半額を、同級生の有志がカンパで集めた。幸い、F君のお姉さんがドナ ーに適合し、骨髄移植は成功した。
半年後にF君が帰国した直後、大学病院で再会した。初夏の蒸し暑い日だ ったが、F君は長袖の上着を着て、マスクをしていた。痩せ細った姿が痛々 しかった。話しかけると、免疫抑制剤のせいで人込みではマスクが必須だ し、風邪を引かないために厚着をしているという。しばらく復帰はできない が、治療は順調だと話していた。
その翌年、F君は逝った。あまりにも若すぎて、同級生の間では彼の死に 対する現実味がなかった。でもその分、私たちの心には、F君の死が染み込ん だ。彼の死から6年後、私は毎年、医学部の同窓会を開くようになった。F 君ともっと話しておけばよかったという思いからだ。今年で14年目になる。
昨年、カンパを集めたA君が、某大学医学部の教授になり、お祝いをした。 F君の影響で血液内科を専門にした彼は今、臍帯血を使った最新の白血病治 療に取り組む。もし現在、早期発見できていたら、F君の病気は治せたとA 君は言う。
またY君も、ガン専門機関で研究に励み、治療に役立てている。彼は今、 ガン遺伝子のエキスパートだ。彼もよくF君の思い出を話し、白血病の遺伝 子については、特に熱く語る。
白血病は10万人に7〜8人という、今でもやはり珍しい病気だ。人間ドッ クで見つかるケースは少ない。だが私は、若い人で貧血があった時は、白血 病を考え追加検査をする。私にできるのは早期発見し、A君やY君たちと一 緒に、患者さんをケアしていくことだ。実際、そうした時に彼らに相談すると、 いつも以上に迅速丁寧に答えてくれる。私はこのシステムを、密かに“チ ームF”と呼んでいる。
F君、ありがとう。君のおかげで、何千という人の命が救われている。

[出典:日経ビジネス、2007/06/25号、安岡博之=南赤坂クリニック院長]

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