【笑いで嵐の時代を乗り切る】

騒然とした幕末に土肥庄次郎(1833〜1903年)ほどよく笑った人はいない。身の丈6尺(約180cm)もある大男で武芸に秀でていた。吉原に通い続けて身を持ち崩し、旗本から幇間(太鼓持ち)となった。
庄次郎はもともと人を笑わせることが好きだった。ひきがえるになって、座敷を這いまわり、遊女達を笑わせていた。庄次郎が太鼓持ちになったことは父の怒りに触れ、江戸払いの身となった。長崎に流れ、酔客や芸子を笑わせて暮らしていた。それでも官軍が江戸に攻め込んで来た時には、彰義隊に加わって活躍した。榎本武揚に従って北海道を目指したが、乗っていた船が難破して捕えられてしまう。
許された後、庄次郎は再び吉原に戻って太鼓持ちとなる。明治の初め、得意の剣術で見世物の試合を行い、大当たりを取る。やはり幇間が一番性に合っていたようだ。またもや吉原で松廻家露八と名乗って人を笑わせた。
庄次郎は「武士の恥さらし」と非難され、侮蔑の声に傷ついて生きていたように言われているが、決してそんなことはあるまい。笑うことほど、人を幸せにすることはないからだ。
笑うと人は若返る。笑いは体内のジョギングだ。笑うとジョギングと同じくらい体を使い、健康になるという。女性が男性より長生きなのは「女は男よりよく笑うから」といった見方もある。笑うと逆境に強い人となることも注目したい。 幕末に多くの旗本が没落していったが、その嵐の時代を庄次郎は笑いながら楽々と乗り切った。

(出典:日経ビジネス、2003/11/10日、堀田宗路=医学ジャーナリスト)

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